常識や因習にとらわれず、大局から身の回りまでの仕事を見直せ!

仕事は法と倫理に反しない限り何をやっても良いというのが私の考えです。
法を守ることは当然として、人に対する思いやりも忘れてはならないことだと思います。

しかし伝統や行儀、儀式、作法、しがらみなどの因習に対して私はかなり否定的です。

もちろんそれらが大切な場合もあります。例えば寺社仏閣の世界ではそれらが全てと言っても過言ではありません。そしてその伝統や儀式が様式美にまで昇華されているのです。

しかしそんな業界をのぞき、通常のビジネスでは、それらの因習に縛られているとチャンスを逃したり会社が倒産してしまいます。そうなっては元も子もありません。

なので適切にそれらの因習と決別し、アグレッシブに仕事を回していくことが大切なのです!

 

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儀式としての稟議書

お伺いを立てる人が多過ぎると何も決まりません。
日本企業の稟議書はその最たる例です。

ある電機メーカーが落ち目になって外資企業に買収されましたが、新旧の経営陣を比較すると意思決定の速さがまるで違うと聞きます。

それもそのはずで、日本の場合はまず根回しから始まって各種利害関係者との調整、そして最後の仕上げとして稟議書を回す流れになります。

根回しはある程度必要だと感じることも多いですが、もう話が決まっているのに形式的に稟議書を回す文化はどうかと思います。

稟議書は誰かがいないとそこで止まってしまいます。なので1週間以上は見ておく必要があります。

しかし外資企業の意思決定は午前中に議題に上がったことが午後には決まって実行に移されているような速さです。

これではまるでスピード感が違うので話になりません。

稟議書に変わる意思決定の仕組み!

日本企業でも稟議書に変わる仕組みを採用しているところがあります。誰かが提案したことに「ある一定の日数」で反対意見が出なければ、それを会社の方針として採用する仕組みです。

これは新入社員でも役員でも従業員なら誰でも提案可能で社内WEBに提案を上げます。その提案を実行するのに掛かる金額によって「ある一定の日数」が決まっているのです。

例えば10万円の費用なら3日、100万円なら5日、500万円以上なら15日といったぐあいです。

もちろんこの日数設定も10万円で10日とするのではなく、3日程度だからこそスピード感が出るというものです。

よく外資企業を「ドライだ」とか「冷たい」と言って非難する人がいますが、別にドライで冷たい仕組みでなくても素晴らしい仕組みは作れます。

従業員なら誰でも参加できてオープンで公平な仕組み、これはドライどころかむしろ暖かいと言えます。

公正でオープンな仕組みが社員を動かす!

仕事で必要な要素はたくさんあります。やる気、元気、正確さ、誠実さ、積極性…。仕事にはさまざまな要素が必要ですが、この文脈で必要なのは公正さとオープンな精神です。

稟議書は「誰が偉くて誰が偉くないか」が露骨に出る仕組みで私は嫌いです。偉い人が不在続きでも、誰も文句を言えないのがその一例です。

もし文句のひとつでも言おうものなら「ワシが不在なことを見込んでもっと早く稟議を回せ!」と言われるのがオチです。

役員が不在なのは仕方がないとしても、そんなありがちで分かりきったことを織り込み済で仕組みにしていることが嫌なのです。

しかし先の例のような意思決定方法なら偉いも偉くないもありません。誰もが対等でオープン、公正なので従業員のモチベーションは上がります。

ちなみにその企業では役職がありません。信じがたい話ですが役職がないのです。ただ、誰が株式を持っていて決定権が強いとか、そういった最低限の役割はあるようです。

役職が無いと同窓会で嫌な思いをする人もいるので、名刺に好き勝手に適当な役職を書いてもいいと会社が認めているほどです。

このように公正でオープンな制度は従業員のモチベーションを上げ、更に迅速な決定が可能なので仕組みとしても非常に優れたものなのです。

小さなことでも仕事の本質を見抜け!

これまでは企業の仕組みという大局的な話でしたが、小さな仕事振りにも仕事ができるかどうかが現れます。

私の学生時代の友達にMという男がいました。Mは全ての能力が断トツに高いだけではなく大胆な発想ができる男でした。

あるときMと大阪・日本橋の電気街に出かけることになりました。
当時、ある雑誌に日本橋の特集記事があり、マップが掲載されていました。

Mは出かけるときにその見開きのマップをちぎって持参したのです。
当時の私はその大胆な行為に衝撃を受けました。

本や雑誌は大切に保管するものという、常識的な考えが私にあったからです。

それをMは涼しい顔で破って持参したのです。
たったそれだけのことですが、当時の衝撃は凄いものでした。

そして今になって振り返ると「仕事ができるかどうか」はこのようなことひとつにも現れる気がするのです。

本や雑誌は大切にした方がいいに決まっています。しかしマップの部分をちぎって持参するのは雑誌を有効活用しているとも言えるのです。

雑誌をまるごと持参していちいち見開くより、ちぎったマップをサッと取り出す方がはるかにスマートなのです。

当時の私にはそんな発想が皆無だったので驚きましたが、仕事とはこのようなことの連続ではないかと思うのです。

常識や因習に縛られず、本質を見極めて行動する、組織も個人もこのような考え方が今後はますます必要になることでしょう!

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