「結果がすべて」の危険性を認識する!

私は「結果がすべて」という言葉が嫌いです。

もちろん結果は大切ですが、その結果を出すためにどんなプロセスがあったか、どうやって勝ったかの検証を抜きにしては結果や勝利は語れません。

しかし全てが結果結果の世の中です。結果の裏にあるプロセスや方法論を知ろうとする欲求が無かったり、プロセスが語られずに結果だけが誇示される風潮があるように思えてなりません。

 

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真の向上はプロセス検証なくしてありえない!

よく言われることですが「魚を与えるのではなく魚の釣り方を教える」ことが本来の正しい教育です。

しかし結果だけよければいいという考え方をしていると、単に魚が与えられたことで満足してしまいます。これは非常に怖いことで、魚を与えられた側はそれ以上の発展がないし、魚を与えた側は何も伝承していないのです。

これでは自分で魚を獲ることができません。魚を獲るために工夫する楽しさや難しさも分かりません。

結果だけを欲しがるのは魚だけを欲しがるのと同じです。

もしあなたが真に向上したいと願うなら、その裏に隠れているノウハウや仕組みを知る気持ちが大切です。

思考停止に陥らないために…

また、結果だけ聞いて満足しないのはもちろん「これは世の中ではそう決まっているんだよ!」という思考停止の返答に満足せず、自分の頭で考え続けることが大切です。

私は若い頃から、さまざまな疑問や納得がいかない思いをつのらせて生きてきました。誰かに「なぜそうなっているのか? これはおかしいではないか?」と聞いても「世の中ではそう決まっているんだよ!」という答えが判で押したように返ってきたものです。

これは質問された側が面倒だから適当に答えていることもありますが、単に分からないのでそう答えている場合もあります。

質問された側も分からなければ「そうだね、何でだろうね」と言えばよいものですが、決してそうは言わないのです。

考え抜くことの大切さ

しかし私のなかに渦巻く疑問は消えません。それらの疑問に対する答えをずっと求めて生きてきましたが、考えて考えて考え抜いているとある日、自分なりに答えのようなものが分かることがあります。

だから「なぜ?、どうして?」という疑問を捨ててはいけません。
結果だけ知って満足するのはもちろん「世の中そういうものだよ」というごまかしの言葉で納得してはいけないのです。

なぜそうなったのかを自分なりに深く掘り下げる過程であなたの思考力は磨かれ、物ごとを洞察する力が養われるのです。

これに対して結果だけ知ってその通りに行動していては、なぜそうすべきなのか深く理解しているわけではないので、自分自身で判断すべき事柄にぶち当たると判断できません。

世の中の不条理を疑い、自分なりに解釈してみる!

例えば「なぜお客様は神様なのか?」、「なぜ商取引の場では売り手より買い手が圧倒的に強いのか?」、「現金と商品を交換する商取引において、本来は対等なはずなのに、なぜ現金を持つ方が強いのか?」という問いに対して、あなたは深く考えたことがあるでしょうか?

このような例は他にもたくさんありますが、何も考えもせずに「業界の慣習だから」とか「みんなやっているから」と思考停止していると、いつまでたっても物ごとの本質が見えないままになります。

物ごとの本質が見えないということは「何かあったときに自分で判断する軸がない」ということです。

これではすぐに行き詰まってしまいます。

プロセスを知ることは再現性につながる…!

結果が全て、という考え方もそれに通じるものがあります。

頑張って素晴らしい結果を出した、そこまではいい。しかしどのようなプロセスでその結果が出たのかを自分自身で説明できなければ、次回それを再現することができません。

芸術家ならいざしらず、ビジネスパーソンであれば再現性にこだわり、過程にこだわるべきなのです。

プロセスが分かれば仕組み化でき、再現性があればずっと結果を出せるのです!

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