現代は厳しく客観性が求められる時代
私が社会人になって間もない2000年頃は、今より世の中がゆるかったように思います。
それより前の1975年頃は記憶にありませんが、その当時の漫画を読むと、更に世の中がゆるかったことがよく分かります。ゆるいというよりいい加減で、全てにおいてそれで通る時代だったようです。
漫画にも現れる当時の世相
それは漫画内の物語ひとつ取ってもそうです。なんの説明もなく場面が飛ぶことはしょっちゅうで、主人公がなぜ敵と戦っているのかも明示されていなかったりで、全てが大ざっぱなのです。
しかし今の漫画は説明と根拠を明示し、主人公の内面描写や行動の動機もしっかり描かれ、画風も写実的なものが多くなっています。
漫画家には編集者が付きます。その編集者も昔はゆるかったわけですが、読者もゆるかったので大ざっぱでも大丈夫でした。
しかし今は読者の目が鋭いため、編集者もそれに対応する作品に仕上げる必要があります。必然的に昔と比べて今の漫画は設定がしっかりしたものが多くなるというわけです。
このように漫画という文化ひとつをとっても、当時と今では世の中のゆるさや客観性の問われ方が違っていることが分かるのです。
現代社会の文脈とは?
今は漫画から仕事まで、私たちの生活や行動の多くに客観性と根拠が求められる時代になりました。その良し悪しは別として、そういう時代であるということを認識する必要があります。
仕事でも提出書類自体が増えたのはもちろん、電話で済んだこともメールや報告書といった文章で残すことが求められるのです。
客観性、論理性、エビデンス(=根拠)、そして自己責任…。
これらが求められる時代なので、上司に対する報告ひとつとっても「誰が、いつ、どこで、どうして、どのように」というふうに、全てに対して根拠を示しながら論理的に説明する必要があるのです。
私は今でこそ、ある程度客観的な報告の技術を身につけましたが、以前は相手に「…で、主語は?」とか「誰がそう言ってるの?」と聞き返されることが多くありました。
客観的な報告や説明ができるようになるには訓練するしかありません。
しかしただ訓練するのではなく、客観性、論理性、エビデンスが重要だという「現代社会の文脈」を頭の片すみに置いておくことが重要なのです。
あなたは分かっていても、相手は分かっていない!
あなたがトマト農家だとしたら、トマトの栄養素や味の良し悪しは誰よりも詳しいはずです。しかし出荷先である料理屋の主人のトマトに対する知識が豊富とは限りません。
当たり前ですが、あなたとあなた以外の人は全くの別人なのです。
だから誰かにあなたの畑で穫れたトマトの魅力を伝えるためには、ただ「美味しいですよ!」と言うのではなく、客観的な根拠を示しながら論理的に説明しなければなりません。
こんな賞をとったとか、糖度はこれくらいだとか、高級料理店に対して○○kgの出荷実績があるとか「具体的な根拠」を示しながら説明するのです。
もちろん「美味しいですよ!」の言葉は必要です。しかしそれは客観的な説明をした上で添えてほしい言葉なのです。
社会も時代も変わった!
ひと昔前の日本の会社は、20~50代の日本人男性がほとんどの社会でした(昔は定年が55歳という時代がありました)。
だから前提となるものや目指す方向がなんとなく同じでした。今より確実に空気や雰囲気を共有し、同じ文脈で仕事をしていました。
しかし今の時代は国際化と個人主義が進んで働く人の年代も広がり、女性の社会進出も拡大しました。こうなると空気や雰囲気、文脈は共有されず、個々人が抱える事情や希望が違う社会になったのです。
ただでさえ人間はひとりひとりが別々の個人ですが、更に空気や雰囲気、文脈まで共有できない社会になったのです。
今後もその傾向が進むはずなので、客観性、論理性、エビデンスがますます重要になってくるでしょう。
「なんとなく」で分かってもらえたり、大ざっぱが許される時代は戻ってきません。これからのビジネスパーソンは企業規模や立場に関係なく、客観性があって論理的な説明を求められるのです!
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