自分で年齢制限をかけるな!
日本は何かと年齢制限が多い国です。
また、年齢に対して誰もがこだわります。
もちろん私も年齢から自由ではありませんが、その考えでは自分で自分の可能性を狭めてしまいます。
目次
キチンと考えれば根拠なき心配である
年齢が問われるのは、資格試験などで年齢制限がある場合です。
これはどうしようもないので、その年齢までに試験を突破する必要がありますが、それ以外は年齢から自由なはずです。
よく「もう歳だから」と言って物ごとを諦める人がいますが、それは本当に身体が動かなくなったときに言うことです。
「もう歳だから」と言う人の話をよく聞いてみると「私の年齢にはふさわしくない」と言っていることが多く、「そんなの気にせずにやってみればいいじゃない」と言いたくなります。
年齢を気にするのはただの文化で普遍性はない!
欧米諸国と比べて日本は年齢を気にする文化です。
週刊誌には、名前のうしろに(25)とか(48)とか書かれていて、私たちはそれを見慣れていますが、あまり年齢にこだわらない国の人が見れば違和感があると思います。
アメリカでは履歴書に年齢を書きませんが、これは年齢による差別を防ぐためです。
しかし日本では資格試験をはじめ、企業の人材採用でも年齢が選別材料のひとつになっています。
年齢が上がれば病気のリスクも上がるので、「年齢によるふるい分け」にある程度の合理性はあります。
しかし自分で何かを始めるのに年齢を気にするとしたら、それは「日本の文化・世間の雰囲気」に囚われ過ぎている証拠です。
頑張るシニア世代
最近ではシニア世代の起業が増えていると聞きます。
80歳で起業して不動産屋さんをしているおばあちゃん社長もいるほどです。
もちろんレアケースでしょうが、それでもほとんどの人はこの人より若いはずで、それなのに「年齢が…」と言っているとしたら、それは言い訳でしかありません。
そのおばあちゃん社長はお客様をお部屋に案内して、自分でロフトに登って説明するのです。身体だってキツいはずですが、それでも頑張っているのです。
『頭がいい人』ほど年齢で考える
私の周りで年齢を気にする人は、例外なく『頭がいい人』です。
『頭がいい人』は物ごとを確率論で考えるので「この年齢になると、これだけの可能性がなくなる」というふうに考える傾向があります。
そんな人から「歳をとるということは、可能性がなくなっていくことだ」という格言めいた言葉を聞いたことがあります。それは確かにその通りで、物ごとの考え方の筋としては正しいという他ありません。
しかしそれを理由に「もう歳だから」と片づけてしまっては、自分の可能性を狭めてしまうだけです。
本当に大切なのは気力の問題
私は年齢より大切なのは、気力や精神力だと考えています。
先ほど資格試験の年齢制限について書きましたが、逆に年齢制限がない資格だってたくさんあります。
難関試験を50歳過ぎの人が突破して世間を驚かせることがありますが、その人は「どうせ歳だから」と言わずに目標に向かって努力したのでしょう。
勉強は頭が柔らかい若いうちのほうが良いに決まっていますが、50歳でもやってやれないことはないのです。
シニア世代でもPCを使える人と使えない人がいますが、前者は「私にもできるかも知れない」と思って取り組んだ人で、後者は「もう歳だから」「どうせできないから」と言ってやらなかった人です。
実際、かつて私の職場に初めてPCが導入されたとき、50代の社員は戸惑いをもってPCと対面しましたが、数年後にはほとんどの人が使えるようになっていました。
年齢を気にするのは無力感があるから
年齢は他人に対しても自分に対しても、体のいい言い訳になります。
世間的にも「その歳じゃ無理だよね」という一定の理解があり、「歳相応」という言葉もあります。
しかし冷静に世の中を見回してみると、先の不動産屋さんやPCの例のように、いわば『歳不相応』なことがよくあるのです。
何かしようと思うと「でも年齢が…」と考えてしまう人は、自分の実年齢よりも、自分の中に潜む根本的な無力感について考えてみるべきです。
自分の無力感を意識したら、それが年齢をはじめとする「言い訳」に変化して、その視点で世の中を見ていたことに気づくかもしれません。
そこまで意識できれば、もっとフラットな視点で世の中を見ることができるはずです。
そうすると、先の例のような『歳不相応』な事例がたくさん見つかり、あなたは勇気づけられることでしょう。
今の自分にできることを検討しないのは怠慢とさえ言えます。
年齢を言い訳にせず、「やってみよう」の気持ちで考えることが大切です。
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